- 学漫同人物語
学漫同人物語、もう読んだ?
大筋(ネタバレ)
1:名作「ルナ」への感想でメルとモミジが喧嘩、仲直りに最終巻を探すことに
2:批評家?タカネの助言から、ルナ最終刊の同人誌即売会にたどり着く、最終巻は存在しないという事実から自作を決める
3:制作途中でモミジと電話し仲直りするも、同人誌を書き上げることは最後までやりとげることに
4:雑な妨害や、ヤクモによる映画化の話を持ちかけられるが拒否、タカネから正当な評価を貰いEND
ボスラッシュとか「今日も平和ということで」という陳腐な終わり方を見るに、タカネの「クラシックな話」の構造にこれ自体が入りこんでいそう
「物語自体は平易です。よく言えば無難。悪く言えば、これと言った特色はありませんが…真摯に向き合っていると感じられます。それがこの物語の長所と言えるでしょう」
まぁこの話って言ってしまえば、金の匂いがする映画化とか、邪魔とか、別の目的(仲直り)じゃなく、純粋な創作意欲賛歌と捉えれば、無難な内容
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未来:本気で考えるのはわずか
過去:ありのままでなく、忘却と美化で思い出を閉じ込める
現在:無限の未来と押し流される過去の狭間で、存在しないも同義
だからこそ現在は過去と未来ついて話すべき。
それが時間の忘却(過去)と押し流れる何か(未来)への礼儀
ルナには過去が描かれており、故に現在で、未来の話
「近年では珍しい、真面目ながらもクラシックなお話であったということを」
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つまり、過去に書かれたルナ(自作)は近年では珍しい真面目な話の仕上がりだったということ
これは作中で出てきた既存の他作品を少し刺してるのかな、キャッチーな最終巻(二次創作)が多かったし、無限の可能性に発散した未来で、本気で考えていないという
それに対し、メル達の書いたルナは、(直近で読んだこともあり)原作を美化しておらず、過去に書かれていると
これをこの話に帰結させると、ある意味で「真面目」に書いたシナリオということか
平たく言うと「原作設定守った方が嬉しい」みたいな
結構現代チックなもの出すの珍しいなって思ったんだよな、ある意味こちら側も尊重しているのか
え?
二次創作を作る同人活動を「一次創作」と捉えた上での
「二次創作」としてのシナリオなんじゃないのこれ
これ本当にそうだったら凄いな
キムヨンハ統括Pが来てるのもそういうことらしいです
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1:甘い秘密と銃撃戦
2:学漫同人物語
3:どたばたシスターと古書館の魔術師
学漫同人物語、普通にブルアカイベで一二を争うレベルで好きだな
上の考察込みなら1位でも良いかも
でもブルアカとしてなら銃撃戦の方が好きかな
ブルアカの「無知でも気軽に楽しめる」という価値の方が大切にしたい
(良い機会だし、この後話す)
1:甘い秘密と銃撃戦(カズレイサ)
2:学漫同人物語(タカネメル)
3:どたばたシスターと古書館の魔術師(ウイヒナタ)
わかりやすいな~~~~~
- 軽い継承の実現
フォロワーがブルアカに関してのはてブ上げててさ、すげーなって思った
バアル?とか神話、偉人についての解説
いいねぇ~~~
そういう知識身につけてたらもっと楽しいんだろうなと思う
今からつける?
多分無限に考察できるんだと思うとワクワクするね
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私は大変に死が怖い、この話したことあったっけ
小4あたりの頃に死という概念に恐怖してギャン泣きしたことがある
今でも年1くらいで急に不安になることある、だいたい夜なので匿名ラジオとか聞きながら寝てごまかすんだけど
死が嫌いな理由って、何も続きがないこと
続きがないって終わりってことじゃん
終わりなんですよ、終わり
何もなし
どうすんの、劇場版レヴュースタァライトさん
次の駅ないんだけど!
おい!
これへの対処って、何かなって少し考える訳ですよ
最近考えているのは、無難だけど「継承」というワード
自分の考えた「何か」が世界に残って欲しいって感じ
子供残すって解は出ないんだ(終のステラがどうのという話をカット)
別に名前とか物理的なモノは残んなくていいです、名前が残ってもやったことがしょーもなきゃしょーもないので
暗殺教室あたりでこういう名言なかったっけ
あれ自分が名前を覚えられない言い訳にしてます(詭弁)
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継承って多分難しいんですよ
なんか新聞でも「事業継承むず」ってじじい達が叫んでました
コンテンツでも仕事でも、何かを継承するときに、こういうところが大事でさぁって言われてもいまいち教えられる側は重要性がわかんないんですよ
私達の生きる意味が文化とかの「継承」だとしても、日々生きることやってると、継承のためにいちいちリソース吐ける訳ないんですよ
ここで話は戻ります
ブルアカが「継承するコンテンツ」として素晴らしいんじゃないのって話です
他のソシャゲと評価が違うのがココ
キャラクター造形の参考のためにちょっと持ってきましたwってノリじゃないんですよ
最終編の聖書関連とか見るに
ビナーくんとかデカグラマトン系もそう
「語るなーーー!!!」も多分
しかもここで俺が「多分」とつけられるのも素晴らしい
コンテンツを楽しむ上で「継承」が義務でないという形は崩していないんですよ
知らないけど楽しめている
その上でモチーフとかへのリスペクトは継続し、「継承」への導線を引いている
これが現代に生きる人間へ提供するコンテンツとして最適解だと思わざるを得ない
(実際はそういうコンテンツも、よく見ればもう少しありそうだが、ソシャゲとかいう味の薄っっっっすいコンテンツをやっている、何も考えていないユーザーでも感づける程度に味付けがわかる、ありがてぇ)
なんかそういう「深いところで繋がっています」と、浅いところでも楽しいよが両立できている
そういう奴になりたいよ
- おまけ
本当は「菅田将暉になりたい」ってキャッチーなタイトルでこの話して
深いと浅いの両立から、俺も仕事と趣味の切り替えがきちんとできて人生充実させたい
みたいな話をしようと思ったけど、あまりにおこがましいのと、
俺が菅田将暉という単語であまり顔が思い浮かばないという、リスペクトのなさでバチボコに怒られそうでやめた
賢明