お金を稼ぐために人生を狂わせる人が(信じられないが)いるらしい、例えば遺産目当てのためだけに年の差結婚をするとか
もしもそういうお金という紙幣が間接的幸福でなくて、麻薬のような直接的快楽に訴えかけるものだったら本当に「お金稼ぎ(麻薬稼ぎ)」だけが正義になってしまう社会になるかと思うと恐ろしくないですか
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[今日のアニメ]
・ガルクラ7(メモまんま)
過去:退路を断たないと新しいことをしない
逃げているのか、無謀とかは言い訳か、
「やりたいことだけ」じゃ無理って新名に言いたくない、売れたいは自由を束縛する
過去を見たくない、でもダイダスですらも「肯定」する
新名
過去:和解の経験がない
退路を断ちたい、
あなたの思い出じゃない、今発言したい
思い出の百花でなく、届けたいという今の想いを届けてください
代弁されるなんて、ダサい
退路を立つのは、社会の流れに載せられるだけか?
社会の流れを拒否すると、続けられない選択になる
ガルクラ、珍しく肯定感100%で視聴が進んでいるので、どっかで一気見してもうちょっと外側を見たいな
ここで言う肯定感100%というのは、ディズニー入ったらミッキーはミッキーとしか見ないって意味
もっと俺は「何故ミッキーをここに配置すると客に取って楽しませることに繋がるのか」とか「それによってウォルト・ディズニーは何を伝えたいのか」みたいなことまで本当は見たい(例に出しただけで実際にしてないです)
が、最近って情報量が多くて作品の流れに乗せられるものが多いから難しい気がする
注釈すると流されることは全く悪でない
それこそディズニーでいちいちアレ考えて楽しめる訳ないしな
てか、作成者は体験として物語によって視聴者を「流したい」だろうし、それを意図して作ってると思うし
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- 17話:2人で世界中を夢中に
本当にみらくらぱーくが最強になってしまいました…
瑠璃の受容さと慈の夢中さ
コウも言ってたけど、明るい系のユニットでこのテーマ扱えるの強いわ
- 始まり方あれか、15話の「負けた悔しさというより、目的地に盲目的でなかった自分」か
- パークのゲートをくぐれない人は
- (さや最強シリーズ)蓮ノ休日、さやも提案できる側なの強すぎるな、今回の話における双方の等価性というのも含んでそう
- 瑠璃の気持ちは間違いでない、でも正解とも限らない、でもそうやって探す心はきっと正解
だから、ゲートをくぐれない人にどうするかを考えることが正解になる(「楽しませる」の前段階、「楽しいことを探す」共感者に立つ) -
探してたからズルじゃない:1話から引用してくるの痺れる、あと「偶然の出会いはズルですよ」のカメラ引きも上手い
さやが「変えるために蓮ノ空にやってきた」ことからの引用、直接的にアイススケートで魅了することとは違う手法だが必要なことだった
慈は探すよりも楽しんでを先に置いていたのに対して、瑠璃は楽しめない誰かを探すことから始める。探す方法は、直接的に楽しませる慈のや方法よりも”楽しい”は遠いが、全員を夢中にすることにはきっと必要だ
- 夢中にしてくれる慈には瑠璃は夢中になるフォロワーにしかなれない、手は届かない、だから2人でないといけない
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証明のギャク空気感好き
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この展開、どっちが先かわからんけど、ユニット自由性を高めるために前の3ユニット混合許したみたいなところありそうだな
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ドルケ餌シリーズ
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いつもと違うから物足りない
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私を食べてるみたいですよ〜
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旅っていうやや大げさな表現使うの、ラブライブのDNA感じる
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瑠璃が眼鏡(オフ)細かいな