ひとりだけの夢 / デデデデ後編

俺がトラペジウム見ようと思った動機の3割である「TLの騒ぎ具合を見るに、見ないという選択をしたそうな俺の既存価値観を破壊されるの気持ちよさそ〜」、頑張れば篠澤広への共感材料になりそう

 

↑ そんなだった

 

 

  • 篠澤True

複雑なキャラ作ったな…

シナリオとして好き

 

アイドルは決して安定しない、安定のない最悪な職業

だから、気に入った

 

下からの景色を眺められるのが珍しい

だから、初めて悔しさを覚えられる

だから、面白さを感じる

 

〜〜〜

 

普通はプロデューサーの夢とアイドルの夢が一致しているものなんですけど、そうじゃない

これまで散々肯定されたから、その外の大人と切り離して居て欲しい

 

だから、プロデューサーの夢は篠澤では叶えられない

でも、そこに惹かれるものが確かにある

 

本来、プロデューサーの夢がアイドルにも乗っかっているものだが、それってもう純粋なアイドルの夢じゃない、大きな大人の意思が掛かってる不純な夢として動き出す

だからこそ、この篠澤のアイドルへの趣味(夢)は、プロデューサーの夢を破壊して、趣味のままで担保されるんだろうなと

 

===

 

  • デデデデ後編

ぶっちゃけ微妙

俺が原作通ってないのもあるだろうけど

あそこまでやるなら地球滅亡エンドで良かった気がする、日和ったように映っちゃったのが一番の微妙ポイント

 

  • 結構序盤を流れるように見ちゃったのが良くないのかもしれない、だいたい全部前半の「全ては地続きで、それを直視しないといけない」で片付くな〜って思考停止しちゃった(観客の期待が作品に反射する法則、期待しなければいくら優れた作品でもメッセージは帰ってこない)

    あと別EDってことは、最初に思い描いた作者の解釈と別なんでしょ?って思考がちょっとでも入っちゃったのが俺の干渉スタイル的に不味かった

    作者がこの作品と通して伝えたいことは?で読み解くのが好きなので


  • これセカイ系だったんだ…

  • おんたんの恋愛化、個人的にややショックなのですが( ←あ〜(笑) )、異物感に惹かれて、”絶対”がそっちに揺らぐって描写っすね(委員長が好奇心でAV出てそうwみたいなのを具現化したあの感じです、俺は今恥ずかしいことを言っているよ)

  • おんたんが一人で行く大葉を止めようとするシーン、結構ショックだったのは「おんたんが結局打てない」って選択をするんじゃなくて、「大葉が道具を使って止めた」ってこと

    俺的にはおんたんには強くあって欲しいので、自分で打たない決断の描写を期待しちゃったがそんなに強くないのかもしれない

    Ω < 強い美少女を”絶対”にしたーい(オモコロチャンネル)

    逆に突き放した大葉は偉いよ、お前主人公だっけ

  • 主人公の蚊帳の外感に納得いってなかったけど、「何も知らずに平和を享受し続けることが出来る」の描写か、原作(想像)と別でちょっとモブ気味、でもそうして享受した平和は破壊される?


  • 最後、滅んでいく東京を見つめることしかできずに、その日が来たんだなって描写で「うお、こういうのでBADエンドになるの初めて見るな〜、微妙だったけどいい体験かも」って思ったら普通に中途半端に終わって、その評価もできねえ

    世界都市でもそれが起こってるって描写で、どう考えても滅亡するって材料だと思ったのに…日和った?


  • 主要以外でどいつが一番いいと思う?って質問されたら、小比類巻になっちゃうの大分良くない気がする(オタクも普通にそういうのに掛かるアレ)

    自分の意思で行動出来ている(ように途中まで見えてしまった)点でやや評価しちゃう、まぁでもお前もPIS(?)と同じ、調子ノリすぎって作り手サイドから咎められるんですけど

    …いや、それだったらこいつもちゃんと殺しとくべきじゃない?

  • 大葉が生き残ったのもなぁ…、おんたんは最終的にちゃんと門出を絶対にしたんだから(あ、サービスカットありがとね)、その異物とは決別するって感じじゃないのか

    侵略者と人間が共存できるよってテーマなら、ともだちで停止してほしいし…

原作読まないとちょっとわからないな、別世界線にもう一回飛ばすところが分岐?

 

  • おまけ:今、映画直後にカフェに行って書いてるんですけど、会計の時にすげー珍しく停電して良かったな、現実の平和ボケ感を咎められた感じがして

    日常を読み取る探知機が過敏になったという意味では良かったのかもしれない

     

     


    https://febri.jp/topics/starlight_director_interview_1/(またスタァライトの話)

    僕は作品を作るとき、見てくれた人の日常に食い込みたいと思っているんです。これから先、トマトを食べるたびに、あるいは地下鉄に乗るたびにこの作品のことを思い出してほしいし、そうすることでその人の人生が少なからず変容すると思っているんです。学校や職場はままならないことも多いけど、もしかしたらこの列車が次のステージに運んでいってくれるかもしれないとか、この先に何か素晴らしいことが待ち受けているんじゃないかとか。ほんの少しでも気持ちを前向きに変化させることができたなら、映像作品を作る意味も意義もあるんじゃないかと、僕はそう思っているんですよね。