自己/他者/社会への潔癖症:百花繚乱(2)

2回読むの良いね

 

かなり刺さったけど、俺は物語で知見を得られれば、どれだけ刺されようと無傷という自身がある

そこから改善の余地が見いだせるということだからね

(↑ 虚勢の可能性…あり!)

 

  • 自分を偽る(自己)

やや刺さり

 

ユカリの「百花繚乱への憧れ」が「みんなからの否定」を招いた

ナグサの「アヤメへの憧れ」が「自分の身分不相応」を招いた

 

特にナグサの「自分が失望されないための、埋め合わせるための努力は、自身では努力とは思えない」はかな〜り共感できる

尖るための努力じゃなくて、丸々ための努力ほど虚しいものはない

自分の希望はそこにはほとんど入っていない

 

でも誰しも初めから「本当の確証」など提供できないのだから、自分を「偽る(虚勢)」ところから始めるほかない

 

未来の自分に希望できないと無理だよなぁこれ

 

 

 

  • 喧嘩や汚い関係を築くことは普通である(他者)

こっちの方が刺さり具合は重症

 

これはシュロ側

虚勢を提供することに嫌悪感を覚える

嘘を吐いた結果、互いに傷つけるのだから、最初から吐かなければ良い

 

でも、嘘を吐かずに本当のことだけを続けるのは無理だ

潔癖で美しいものだけで、人間関係を形成することは不可能だ

 

本当なら、喧嘩もするし、嘘もつく、それで悩むのが「普通」

だからこそ、その先に協調が待っていると希望できる

少しぐらい泥で汚れているくらいが本来の人間の姿

 

 

「卯月コウの嘘になっちゃうかもしれないじゃんって大好きなんだよな

今を基準に発言しても、未来ではそれが嘘になるかもという考えから、潔癖のように恒久的な本当のことを話したい誠実さが、嘘になるから発言できない俺にとって希望でしかない」

 

人間関係を築く上で、嘘も交えることもアリだって言う話、まだちょっと納得していないところもある

けど、それを認めないと、人間、なんにも関係を築けなくなってしまうから、それを許容しなければいけないんだろうな、本当は

 

 

“多分、というか絶対そうなのだが、この世界って意味より無意味で構成されている方が正解な気がする。意味による構成が多数だからこそ、感情論が大事だと最近思う。

無意味な会話で縁が出来て、そのうち意味を持つようになる。年齢が進むにつれて、関係に意味を求められることが多くなる。時間が経つにつれて、ますます無意味は減っていく。”

無意味な話|kou121221 @Boy10387773Boy #note https://note.com/kou121221/n/nfa83478b9a02

 

 

 

  • 資格は覆せない(社会)

ブルアカ的に注目したいのはココ

 

シュロが幾度となく協調したように、資格(証を持っていなければ攻撃は不可能である)を覆すことはできない

だから、シュロと幻魎百物語を無力化するために取ったナグサの解決手段は、ナグサが証(部長)という身分に迎合することだった

偽りでも、醜くても、滑稽でも、その身分を演じる

 

これはブルアカ宣言と真逆だ

 

ヒフミがは「暗くて陰鬱なお話」が「この世界の本質」だという社会構造に対する反逆として、宣言した

社会構造や常識に対して、自身の願いを叫んだ

それによって、ヒフミは条約解釈を書き換え、ETOを乗っ取った

 

ブルアカ宣言は、既存の社会構造への反逆で解決したが

百花繚乱1章は、証(部長身分)の構造を曲げる事では解決しない

 

 

だから、「私達の青春の物語を!」も「手前だけの百物語を」自分たちの主張を通すための、既存社会への反逆という意味では同一

「青春」は友人が定められている運命に対する破壊、「百物語」は、嘘で構成される関係性の破壊という意味で働いている

 

 

この先、ミクロ的な解決(世界許せん、友人助けちゃる!)よりも、マクロ的な解決(世界はそう出来ているから、私達もそうあるしかないだろう)が増えそうだね