- やったこと
昼:丼もの
授業1
後輩と打ち合わせ
就活とか研究をだらだら
- 与えられること
(社会人でないので、殆どが憶測であることを先に書いておく)
最近人手不足で、内定式後でもキャリア相談とか、よくわからない面談を開かれたりして、人材の囲い込みを頑張っているらしい
あとは福利厚生のアピールとか
なんか、そうではない気がする
新入社員とはいえ、社員であることは間違いないのに、「与えられること」に固執しすぎていないか
社員は社会人なのだから、社会に何かを与える側の存在になったというのに、人材不足だからって餌を詰め込むのは何かが違う気がするのだ
先日のインターンで、「大学進学率が上がりすぎて、本来ブルーカラーの人間がホワイトカラーを目指していて、均衡が崩れているのかもしれない」と言う話があった
ブルーカラーは、直接的な労働に対して直接的な報酬が得られるものだと思っている。全人類ひねくれ時代だからか知らないけど、多分みんなもっと高尚ぶりたいのだと思う(自分も否定できない)
高尚ぶりたいけど、本来そんな能力はないから、報酬だけでも望むものを得たい、という構図がZ世代が望んでいる状況なのではないだろうか
「与えられること」に慣れた世代が、20年後?とかに部下を持った場合、与えることでしか指導が出来ない
上司と与える存在がイコールになる、ますます献身しなければならないというイメージが加速する(管理職は残業代うんぬん)
それが行き着いた先は、「手に職」傾向が強まって、どの会社にも軸がなくなる
与えられることから卒業しなくてはならない
対等でないと、責任を負うことが罰になる
責任を負うことでしか、自由を得られない
与えられることをやめよう
無料だからといって、全巻読まなくても良い
楽で何かやってる気になれるソシャゲをやめよう
せめて、やらなければという思考は捨てよう
選択しましょう
自由ってしんどいな