普通の幸せ

 

 

 

感想

「あわい」に焦点を当てていたのが面白かった。

特に「天皇」と「武家」が曖昧な時代において、決着がどちらかに可逆するのではなく「両方置こう」という着地点に注目したところ。あるAとBの両方が重なる時、決着はそのどちらか一方のみではないという捉え方。完全に新しくなるってこともないし、完全に昔に戻るってこともない。

これどっかで見たな、ある事象が原点回帰する時、それは単なる原点回帰ではなく発展的回帰であるというやつ。コロナ禍で言うなら、リモートから現場に原点回帰したけど、一部は進んだみたいな?

作者は冒頭で「あわいが現代にもある」と言っていて、それが「リアル」と「バーチャル」について、栞葉るり由来で読んだのでびっくりした。この2つの発展的回帰的な解で思い出したのは「Apple Vision Proが、完全なバーチャルではなくリアルに溶け込むように作られていたな」ということ。日々、バーチャル疲れ(SNS疲れ・デジタルデトックス)みたいな感じで回帰が始まりつつあるけど、あのあたりに落ち着いていく時代がそろそろ来るのではないかと思ったな。

 

 

 

  • 興味深い点(自分によって発展させた考えを大いに含む)
    • あわい:AとBが重なる空間の渦にいると見えないものがある。それは「公」も「武」も定まらない太平記の時代と、「リアル」と「バーチャル」が曖昧な現代でも同じ
    • 楠木正成の奇想天外な戦い方は、時代が可逆だと思って居る北条氏とっては想定外であった(卑怯とも見えた?)。新しくて卑怯に見えるものは、大抵可逆でない。
      • これは「リアルだと手触りが…」と言っている老害と同じである、時代は不可逆なのだから徐々に「バーチャル」な割合が多くなる可能性だってある。それを認めずに、ただ過去のみを重んじて「戦は名乗りから始めるもんでさぁ…」と外国の侵略に唱えても、ただ「なんだこいつ」と切られるだけである。
      • 多少は時代に流されても良いのかも(新しさをそのまま受け入れる)
      • 「朝廷」の他に「幕府」を作ったように、あわいに対する解はAとBのどちらかそのものではなく、共存あたりに落ち着く
      • 南北朝の統一(あわいの集結)には、正成が死を覚悟した説があるように誰かの大きな覚悟や動きが必要(やや眉唾かも)
        • 誰かが単に「AとBで争うの疲れた」もあるかも(巻三十九:光厳院と御村上天皇の和解?)
        • この「誰か」はSNS時代、民衆になることもありえる?(SNS疲れによるバーチャル離れ)
    • 太平記読み(朗読)の民衆には「なんで?」みたいな~~アホな~~投げかけがあったりするが、これにきちんと説明する役の人がいた。つまり、固定の物語ではなく置いてけぼりにならないインタラクティブセーフティネットの役割を持たせることで文化が成立した。簡単さを下支えするインタラクティブが必要。