人間の存在価値は嗜好性にしかない

今日は惣菜が色々食える魚定食屋に行ったら、栄養がいい感じだった

結局、品目数多く食えば基本的に何とかなるんだろうな

 

用意するの難しいけど...

 

(日記要素)

 

===

 

主人公は当初、八奈見との関係が「特別であってはいけない」「目立たないほうがいい」と思い込んでいたが、最終的には「自分から友達になろう」と一歩踏み出すことで関係を正常化する。

また、振られたヒロイン(八奈見)や失恋経験のある焼塩に象徴されるように、登場人物たちはそれぞれ不完全な思いを抱えながらも「進もう」とする。彼らは誰もが未成熟であり、誤解や迷いを乗り越えて少しずつ前進している。

 

o1 pro に感想書かせて感動と絶望をしてる

俺が普段、作者がどのように物語を構築しているのかという視点で書いているつもりなんだけど、それを完璧にやってくれてるから無意味になってしまったな

 

人間のメインタスクの中心は、やっぱり恣意的な嗜好性にしかないんだな

「推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない」の作者が言ってた正しさなんて今は捨て置いて、そうかもねで論理を構築して自分の良かった感情そのまま言えばええねん(超意訳)はあながち間違いでないのかもしれない

 

====

 

 

12/13 チルタイム|理系大学院生

 

このヒトの日記に共感することが多い

「最近の若い人は挑戦に見返りを求めているように思う。承認欲求かなんか,わかんないですけど。」

(大体こういうことを言っていただけで、本当にそうかはわからない)

 

 

ともかく、行動一つ一つに意味を求めすぎている、という問題には結構共感する

何もかもにフィードバックを求めてしまっている

映画とか「あ〜面白かった」系って好みから外れちゃう、監督の何か人生を掛けたメッセージ性が眠ってるんじゃって思う、それを発掘することに注力してしまう

 

それでアトラクションのような刹那的楽しみ方を忘れている

ディズニーのアトラクションに載って、今のどこどこはこういう意味なのかなとか、こういう工夫で楽しみやすくしているなみたいなことを考えてしまう

 

って内容とそれに対する仮説もo1 proへ...

 

このページでは、現代の若者の「成果への即時的な見返り」を求める傾向について分析しています。主なポイントは以下の通りです

  • 時間や努力を「コスト」として捉え、それに対する「見返り」を常に計算しようとする傾向が強まっている
  • この傾向は特にSNSによって助長されており、「いいね」やシェア数などの即時的な評価指標が、内的モチベーションを外的評価へと置き換えてしまう
  • 一方、現実世界の人間関係は「曖昧さ」を持つため、逆説的に内的モチベーションを保護する機能を果たす

解決策として、以下が提案されています:

  • 現実世界での曖昧な関係性を大切にする
  • SNSを補助的な位置づけに留める
  • 内的モチベーションに基づいた行動を心がける

これらの施策により、「コスパ思考」や過度なSNS依存から脱却し、より健全な動機付けを取り戻すことが可能となります。

 

現実の結びつきって「ただ人間がそこにいること」から友達などの関係性を築くけど、SNSの結びつきって「趣味・何かが好きなこと」から関係性が築かれるから、いずれ自分の存在が「〇〇が好きな自分」の方に寄ってしまう

みたいなことを論じてみた

卯月コウでいう「お前、クール系好きだもんな(肩パン)」みたいなね

 

俺は今のところ「卯月コウが好き」で居場所通してる

結構自然にやれている(主従が反転していない)つもりだけど、これが義務になったら内的モチベーションが居場所を保つ外的なモチベーションになって苦しいだろうという話

 

 

====

 

 

 

テニプリ見ながら、興味本位でC105のラインナップを見ていた

なんやかんや行ったことないんだよな

 

メロブ

 

広はいるのにリーリヤがいない;;

想像の3倍くらいウマ娘がめちゃくちゃ多い(一般で絞ってるから?)

 

 

あんま18禁興味ない

実家住みというのもあるが、特に既存の商業のエロ化ってせっかくキャラクターとかシナリオとか考えた一次創作を貶してしまってる感じがして嫌なんだよな

 

それに準じて(本編を無視した)オールハッピー系もあんまり

苦手なところを全部取り除いて自分がその作品で気持ちよくなりたいだけじゃん、小骨もこの作品のアクセントなのに!、みたいなものを感じてしまう

(さっき意味を求めすぎているから、もっと刹那的に楽しもうって論じたばかりなのに...)

 

どうしよ、この手元の気になりリストは...

 

===

 

 

  • おまけ

 

 

この発言全体は、以下の要素を軸に展開されている複雑な雑談・考察である。

 

 

 

  1. 昔のコンテンツを利用したネット上のバズ手法

    セーラームーン」や「Y2K」、そしてネットの定番ネタ(「吉コピペ」など)といった、30代や20代後半が懐かしく感じるようなコンテンツを、あえて「今の若者には分からない」という体で取り上げ、知らないふりをして投稿することでバズを狙う風潮がある、という指摘がなされている。そうした「懐かしネタを知らない若者を装う」手法が安定的に注目を集めやすい、という主張が展開される。

  2. 「今の小学生は知らない」ネタへの批判

    「今の小学生は知らない」「令和生まれは知らない」などの定型句で、昔の文化を今の若年層が知らないことを嘲ったり、意図的に世代間ギャップを強調して笑いを取る手法が繰り返されることへの批判がある。そうした行為に引っかかる人々は、結果的に「面白さ」や「感性」を搾取・奪われている可能性があり、将来的にはその人自身の創造力や社会的魅力が失われるかもしれない、という懸念を述べている。

  3. 「アニメ金(菌)」やVTuber関連の謎設定

    話の後半では、突如として「アニメ金(菌)」という謎めいた概念や、「社長」や「タズ」という人物が、視聴者やライバーたちから「アニメになる力」を奪っているかのような、妄想的なストーリーが展開される。ここでは「アニメを見る能力や資源」を象徴的な「アニメ金」として扱い、それを収集・搾取し、360°モニターでアニメを見続けるような超人的な存在として社長(タズ)が描かれる。

    また、かつてのVTuber黎明期に3Dモデルが主流だった中、2Dモデルを敢えて用いた経緯など、虚実入り混じった設定で「アニメ金」をめぐる独自の世界観が語られる。

  4. 全体的な主張・問題提起

    元来の話は「ネットで昔の文化を知らないふりをしてバズる手法」への皮肉や、その結果として生じる創造力や面白さの搾取的構図への懸念が主軸であったが、途中から幻想的な比喩や設定を重ねることで、「本来獲得できた創造的な未来(芸人やM-1王者の可能性)を失う」などの喪失を表現している。

    要するに、「懐古ネタを『知らない体』で流布する安易なバズり商法」に人々が引っかかり続けると、結果的に彼らのポテンシャルや創造性が奪われてしまう、という警鐘と、それを戯画的・ファンタジー的に誇張したストーリーが織り交ぜられている。

まとめると、この発言は「昔のネタを知らないふりで盛り上がる風潮」への批判や、その背後にある創造性の搾取の問題を、妄想的な設定(アニメ金、VTuber社長、奇妙な目の能力)を交えて示唆する、皮肉と風刺に満ちた雑談である。