東京ゲームショウ -1日目

まず最初にびっくりするくらいの不機嫌になってしまった話を...

実は散々無意味に匂わせていたように、土曜日に東京ゲームショウに行く予定だった

 

そのメモ

 

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エンタメに悩んでるって言い出した翌日には検討していた

俺が今持ってる内定って展示会からアイールした奴だから、それに習って…って考えたら、1週間後にお誂え向きにあってビビったね、運命ですよ

就活ってわかりやすいようにスーツで行こう、と思ってたのだが、研究室でゲーム系に行った1個上の先輩からウキウキの感想文が来て(ビジネスデイ)、まずは俺が楽しむところからか…と思い直し、普通に楽しむことにした

決断まであと3年あるしな、

まだプレイヤーなんだ、今を楽しまないとな

 

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と、前もってこんなことを書くくらい張り切っていた

前日(金曜)に大学から早めに帰ってきて、ウキウキで準備をしようとしてたところに一報

 

妹と彼氏が来る

 

今自分の部屋としているのが旧妹の部屋で、冬服を取りに来た 兼 片付け に来たらしく

それも何故か夕方から(おそらく彼氏の日程都合)

 

明日(土曜)早めに出るために準備や早寝をしたかったのだが、

まぁ部屋が荒れ散らかされてしまうし(22時だぜ?)、なんか早寝したい俺よりも先に風呂頂かれるしで...

 

自分でもびっくりするくらいイライラしてしまい、ふて寝

というか何もできないくらいなら、寝るという決断に(もちろん俺の部屋は散らかってるので適当にそこらで...)

こう妨害されちゃうと、寝るという予定を前倒しして早朝にするしかなくなってしまう

 

 

 

ちなみに俺がこう地雷踏まれた時「俺はお前の邪魔しないから、お前も俺の人生の邪魔しないでくれ」とか思ってしまう

 

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で、起床して早朝(3時)に至る訳だが

(なんで部屋が散らかったままなんだよ、原状復帰はしろよ)

 

うん

今日行く気がないね

 

もうチケット1日目買ってるけど、やめよう

明日(2日目)にしよう

 

てか、前乗りにしよう

ストレスでどうにかなりそうだから、気分転換しないと駄目だ

金ってこういう時のためにある(って信じてる)から...

 

(明日の日記へ続く...)

 

 

==以下、通常日記==

 

昨日のゼンゼロのストーリー、メッセージ性優先で書かれたものではないけど、俺としては何かの気づきがあったので、そもそも「こういう教訓がある」って定型を伝えようとするのはやや烏滸がましいのでは?とも思った

 

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天才少女は重力場で踊る、読んだ

(白昼夢の青写真は未読)

 

正直中盤は盛り上がりに掛けてイマイチだなと感じてしまったが、あとがきの「軽めを目指した」みたいな表記があったのでまぁ納得

タイムパラドックスの話なので、未来を観測した時点である程度の出来事がすぐに確定しちゃうから緊迫感を与える構造に出来なかった(しなかった)んじゃないかなと

三澄との関係性にもうちょっと段階が欲しかったな

 

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日記の書き方について、ちょっと変えようかなと思ったことについて

端的に言うと「日記に書くのはEventがあった時だけで良くて、他の日記に乗らない日常はただ味わうだけで良いのでは」って話

 

俺は毎日日記を書いてるんだけど、日常を味わうことと日記を書くことの優劣が逆転することがある

 

例えば、何かのストーリーを読んでる時

これ、日記に書きたいなって思った時にメモをするという動作を挟むことになる

それって日記に書くという意味では良いのかもしれないが、自分がそのストーリーについて集中できる余地を小さくしていくことになる

 

そういうeventは楽しみ終わった後に溢れたものを書けば良いだけ

大事なのは記憶であって記録ではない

 

よく何もしなかったな〜って思ったりするけど、それはEventがないってだけで日常は確かに過ごしている

 

 

何もやってね〜というのは、もう少し正確に言うと「何も噛み締められてねー」になる

そしてその対象がEventに向きすぎているということだ、Eventがある俺凄いでしょうという修飾が目的になってしまっている、本当は何気ない日常を噛み締めるだけで良いのだ

 

あれ、結構革新的な気づきだと思ったのによくある「幸せを噛み締めよう」になっちゃった、まぁいいか

 

 

というわけで、もしかしたら「今日は普通の日常を過ごしました、あーなんか昼食った唐揚げ妙に美味かったな、じゃ!」の回があるかもしれない

もしくは書く内容をラベル付けした時(event・思考・悩みなど)にeventが減るとか、この辺は試行錯誤していこう

 

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いや〜、思ったより政治な話で読み解きづらかったけど、カヤへの「君が、君自身を諦めないで欲しい」の一言で全部満足した

あとカグヤの「山海経のため」という忠義の貫きっぷりが好きだ

 

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  • キサキを再起させたカグヤの意志

カグヤの「山海経のため」という貫きが、キサキが再起できるキッカケになっている

 

1つ目が、先生とレイジョが「保守的なカグヤが推戴されると悲劇かも…」と心配する横できちんと断ったこと

これは、京劇部の役割、部長としての役割を全て「山海経へのため」に集約させて揺るがないという意志の強さだ

前のイベントストーリーでは手段を選ばなすぎたが、それでも軸となる「山海経のために」門主の目を覚めさせるという目標に尽くしていたことには変わりはない

(後から気付いたが、前回のイベストのチェリノの言葉を踏まえてでもあった)

 

2つ目が先生の言葉で再起したキサキを焚き付けた犠牲の宣言

キサキがいなくなって次の門主が求められる中、民に反逆者らしい反逆者を突きつけなければ戻って来るのは難しい

なら私がその役をやる、と宣言した

 

これでキサキも覚悟する、一方を悪人とするのは自分が納得しないという決断

キサキもカグヤも「山海経のため」という忠義の方向性は同じだから、そこに違いなどあるべきでない

 

焚きつける意図はなかっただろうが、カグヤが意志を貫く姿勢を見せたからこそ、キサキが決断できたように思う

 

 

  • 「君が、君自身を諦めないで欲しい」

この話に与えられた課題は、自分の中の教訓よりも規則が正しいんじゃないかという「自分への諦め」にある。キサキがカイに自信を喪失させられたのは、本当に自分が「伝統を守っている」のか再び問うことになったからだ

 

 

「伝統を守る」という表現は「伝統の教訓(意図)を守る」と「伝統の規則(行動)を守る」の2つがある。そして、どうしても後者の方を選択してしまいがちだ。

 

カイは「門主は全ての責任を負う者だ」という規則でキサキを問い詰めた

キサキは常に前者を思って行動していたのは間違いなかったが、キサキも先生に言われるまで2つは同じものだと思っていた

一般生徒もカイも後者を含めて「伝統」を望む

 

でもそうしてキサキへ押し付けた責任は因果が異なる

本来はみんなはみんな自身で責任を取ることが基本であり、それ以上の裁量や面倒事があったときに初めて「門主」の肩書きを借りられる(野心的な部下に対して、上司が「わかった、やってみろ」というイメージ)。これは「門主が責任を負う者だ」という規則・行動の根本にある教訓・意図だ

 

責任を背負ってもらうからには、それ相応の理由がないと駄目だ。

カイにはそれがない、他生徒を傷つけるし、何より自分自身が自分を信じていない

 

だから「君が、君自身を諦めないで欲しい」だった

そしてこれはカイだけでなく、規則ばかりを信じてしまう読者へのメッセージでもあったように思う

 

 

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こういう文章書いてる時、本当にこれは感想なのかって思う

難産な時って、なんか綺麗で上手い感想を書こうとしてしまっている感じがある

 

 

こっちが感想なのかな、わからん

  • 「彷徨う者すべてが道に迷っているわけではない」:これすき、正しい道でも前が霧中なのは変わらないので
  • ミナ「門主様が私を見捨てることはあっても、私が門主様を見限ることは絶対にありません」キサキ「そうか…」:これさぁ、キサキは「ミナは、キサキが見捨てる可能性があるって思ってるんだ」って思ってちょっと寂しく思ってのことじゃないですか、ねぇ
  • 今まで散々暴れたサヤへのフォローが見えたのちょっと笑っちゃった

 

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はぁ、部屋の片付け済んだし、もっかい寝よ...