なんか、アヤメが偽物だってのは何となく予感してた。だって、ナグサがアヤメに向ける目って、もし仮にナグサが”ナグサ”を完璧に演じられた時の姿だなぁって思ったから。
ナグサが自身を本物の委員長でないって思うのは、ナグサが自分に自信がないから。でも、そういう考えが「もしアヤメも完璧でないごくふつうの生徒」だって考えには適用できなかった。
現実はそこまで理想ではない、だからこそ自信のない者はそういうものに縋りたがる。何かを縋ったり、信仰したりして「本当の自分はそうじゃない、でも頑張らなきゃ」って頑張る。そうやって辿り着いた数少ない成功者(アヤメ)は隠すのが上手すぎて、そういう信仰の対象になる。そんな本当の自分じゃない私を見て、信仰するヒト(ナグサ)がいたら、昔の自分を見るようで嫌悪したくもなるだろう。
物語は「それを聞く者が共感し、理解を示してこそ」であり「誰もが経験したり、感じたことのある要素が不可欠」である。そういう共感がなければ、それはもはや神話だ。
ナグサの中で、アヤメは神話になってしまった。
先生の「アヤメ委員長を信頼できるか」って受け答えで、「信頼は小さな積み重ねだから」「まだ、その時間が足りなかったのかも」というのがさっぱりだったのだが、今ならなるほどと思える。
アヤメがナグサのことを「友達じゃない」というのは、積み重ねを飛ばし、全幅の信頼を置きすぎていたからだ。積み重ねのない信頼は妄信であり、友達間のそれでないのだ。
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俺がこんなつらつら書けるのは、縋りたがるタイプだからだよ!!!!(物語への共感)