不整合と熱狂

 

 

今週の振り返り:コンテンツの楽しませ方

主に「ぬい」と「都市伝説解体センター」の話(ネタバレはないように書く)

 

 

コウぬいへの向き合い方について、散々悩んでいた

軽率に消費をしていいものか…ってのが主な悩み

コウは自分のファンのことを一部自分の過去だと考えている(と俺がそう思っているだけ)から、かなりどう見られるかとかを考えているはず、その上で「(一部ファンや過去の自分は)嫌かもしれないけど、それでも引っ張り上げる」って覚悟の目をして引っ張っている、それを軽々しくぬいという記号だけで消費するのか…的な

 

都市伝説解体センターの話。クリア後にSteamレビュー見てたら、「(ある推理ゲーム)と同列に比較されるのはおかしい」みたいな内容のコメントともにおすすめしない、の文字。まぁ、わからんでもない。各章のオチはまぁまぁ読めるし、かと思えば大オチはやや後出し感もある。伏線は散りばめられていたが、それを補ってなお各シーンの違和感の方が勝つ。

でも、それは作り手もわかっていそうな気がする。ストーリーの見せ方が次へ次へと気にならせるような作りになっているのを見るに、整合性よりもその時の熱中に重きを置いて作っているように見えた。とにかくまずは最後までやってもらおう、楽しんでもらおう。という姿勢

 

こういう楽しみ方を個人的には「アトラクション的」って脳内で言っていたりする、文脈や整合性よりもその場の感情を優先する楽しみ方

楽しませれば勝ちだということだ

 

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つまり、何が言いたいのかというと

「不整合は熱狂にかき消されるが、熱狂がなければ不整合が目立つ」

コウぬいは俺を熱狂させられなかった不整合ってことです、そもそも日常的に置くものに熱狂させられてたらヤバイ

 

この不整合はそのコンテンツへの批判ではなく、消費者への不整合ということです、not for meが近しい

 

ライブみたいな熱狂ブーストがある場には結局持っていきますけどね、俺が現地の熱に浮かされてくれるはず(取らぬ狸の…)