あすけん

 

 

 

 

実は、数日前からあすけんをやってる

月ノ美兎の動画の前からやってる

 

勘違いしないでください、おい!

 

ビタミンA/D/カルシウムが足りないと言われる、ムズくないですか

なんかフルーツ系食わないと駄目なんかなぁ

 

 

もうこういうアドバイス、GPT(会話方式)で欲しいけどな

できるだろ多分

 

〜〜〜

 

今日の昼、バーミヤン行って見たけどなんかやっぱ昼に外で食うのダメだな

 

 

 

後ろに予定があってゆっくりできない

 

かといって夜は家で固定なのが最悪、そろそろ一人暮らしで自由になりたい

 

でも一人暮らしは一人暮らしで、自由すぎて困るんだろうなぁ...

自炊しないと禄に野菜食わせてくれないしなぁ

 

 

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黒魔術の代償がきちんとデカいのいいな

無意味で過剰に修飾されたハッピーな感じってやや気持ち悪さがあるから、こういう味がすき

 

 

 

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研究室でウワサのo1 proを契約してくれたので(!?)使い放題になった

昨日のむちゃくちゃな文章を読みやすくしてくれと頼んだので、違いを感じてください

 

もうAGI来てるの? 

人間に知的産業させるの意味ないんじゃ?と思ってる

 

要約・整理:

根本的な問題意識

「わかりやすい」形にしないとコンテンツは受け手に目を向けてもらえないが、その「わかりやすさ」を優先すると情報の粒度やメッセージ性はどうしても落ちてしまう。これがあなたの人生を通じたテーマだといえるほどの関心事である。

「わかりやすさ」と「情報量」のトレードオフ

情報理論的な観点からすれば、要約や図式化といった「わかりやすくする」行為は、実際に情報量を削減してしまう。しかし受け手の立場からは、「情報量が落ちていないように見える」こと—すなわち「わかった気になる」ことが非常に重要なフックとなる。

図や簡略化されたモデルは、文章では敷居が高かった情報理解に対する「とっかかり」を与えてくれる。その「わかった感覚」が、より詳細な情報へ踏み込む動機づけを生み出せる可能性がある。

希望と課題

図式化や構造化によって、受け手に「わかった気」にさせる導入を生み出し、そこから詳細・深みへと誘導することに希望を見出している。

しかし、一方で「わかった気にさせる」という行為は、受け手が実際に深掘りする前に満足してしまう危険も孕む。「わかりやすい」だけで止まることなく、詳細情報へと自然に踏み込ませる仕掛けが要る。

また、あえて情報を単純化したり多少誤った印象を与えたりして興味を引く手法は、コンサル的な「多少騙してでも興味を引く」営業的手法につながりかねない。過度な期待や誤解を煽れば、後で失望を生む危険性があるし、それは伝達者のエゴやバイアスが潜む不誠実さの問題へと通じる。

 

再解釈・含意:

あなたが提示する問題は、教育やコンテンツ制作、情報発信の根源的なジレンマである。「受け手の理解力や時間的リソース、初期モチベーション」を考慮すると、全てを正確なまま伝達するのは現実的でない。また、「わかりやすくする」ことは必ずしも正確性・豊富な情報量と両立しない、という前提を受け入れる必要がある。

しかし、そこにあっても可能な戦略として、「初期導入ではわかりやすさによって理解への入口を作り、その後、詳細で正確な情報による理解を深化させていく」という段階的アプローチがある。これは「興味喚起→詳細探求→理解深化」というプロセスで、特に図式化やビジュアル化が有効な「スタート地点」となる。

そのためには、「ここから先はもう少し詳しく見たいと思える仕掛け」を意図的に設ける必要がある。たとえば図から詳細な本文へ、本文から参考文献やデータへと自然につながるリンクを設ける。また「わかったつもり」に留まらせないために、単純化されたモデルの限界を示唆したり、問いかけを行ったりする手法が求められる。学習者側からすれば、「最初に得たわかった気」を手がかりに、あえてそのモデルの不完全性を示す情報を提示することで、更なる探求を促すことも可能である。

結局のところ、「人間は完全な情報を一気に取り込むことはできない」という現実と、「わかりやすさによる動機づけ」と「後からの情報補完」によって、地道に深度と精度を高めていくしかないという結論に至る。そして、その過程で「多少の誤解を誘発する恐れ」と「誘因としてのわかりやすさ」には、トレードオフが存在する。あなたのテーマは、このトレードオフをいかにうまく乗りこなし、受け手をより深い理解へと導く設計を創り出すか、というクリエイティブな挑戦とも言える。