今日の研究取り組み姿勢は良かった
やはり目標は取り組み時間ではなく達成したいタスクにすべきだな
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- ダンジョン飯13~15話
通常に戻るかと思いきや微シリアス続行だ
おい、妹レギュラー化は?!
思ったよりあのふたり、あるな…
サブパーティのミックベルの声優、彗星のチュアとか100カノのツンデレだ、いいね
ダンジョン飯を一気見してて思ったけど一気見の方が性に合うわ、3ヶ月も熱を保って居られん、情報過多な社会でスローペースすぎるし、集中力を保っていられない(よっぽどのものでないと)
ダンジョン飯見ながらソシャゲ消化してると一般人の消費すぎるな…ってなる、もっとこう濃い感じのことをしないですか、はいやめましょうねそういう意識は
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昨日の発作を言葉に書き留めてたら、読みにくくてしゃーなかったのでGPTに掛けた
コンテンツのわかりやすさと奥深さ(情報量)は両立できない。だが「わかりやすそう」という錯覚や意欲を付与できれば次が生じて改善ができる、そこに希望がある
— kou (@Boy10387773Boy) 2024年12月9日
明日の日記か何かに書こう
「わかりやすいものでないと受け入れられないが、それでも細かいことや論理を考えてもらいたい」というのは、私の人生のテーマといえるほど、常に考え続けていることだ。
確かに、わかりやすいコンテンツでなければ消費者の手には取られない。しかし、ただ手触りが良いだけの内容では不十分だ(最もわかりやすい例が、全肯定的な「推し」コンテンツだ)。コンテンツ消費には、わかりやすさの奥に「何かを感じ取れる」内容であってほしいと願っている。
情報論的な観点から見ると、「情報量(メッセージ性)を落とさずにわかりやすくすること」は原理的に不可能のように思える。文章をわかりやすく要約すれば、一見情報が凝縮されたように感じられるが、実際には重要な情報が欠落しており、要約者以外の読者が意味を十分に読み取れなくなるからだ。この仮定に基づけば、「情報量(メッセージ性)を維持しながらわかりやすく(面白く)すること」は困難である。
この問題に対して、私が模索する解決策は「図式化」にある。ここに希望を持っている、コンテンツで例えるなら漫画にあたる。文章は手に取りづらく、読む意欲を阻害することがあるが、図であれば視覚的に捉えやすく、内容を伝える第一歩として機能しやすい。
しかし、図式化によって情報量は減少すると考えている。ここで重要なのは「情報量が落ちていない」「理解した気持ちになれる」という感覚を読者に抱かせることだ。文章では「わからない」という感覚を抱きやすく、そうなると読むのをやめてしまうが、図は「わかった気になれる」という感覚を生む。これにより、読者がさらに詳しい情報に触れるきっかけを作ることができる。こうしたプロセスならば、図で得た大まかな情報を後で補完・修正する余地が生まれる。
私はここに大きな可能性を見出しており、本気でこの方法を追求している。どのくらい本気かというと、就職活動の軸に据えたほどだ。
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ただし、図式化を万能だとは思っていない。この「わかりやすさ」には問題もある。
1つ目はわかった気になって止まってしまうリスク。例えば、教科書のわかりやすい図を見て理解したつもりになり、その先の学びが浅くなるという問題がわかりやすい。深く知ろうという意欲に欠けてしまうこと。
2つ目は装飾の過剰さ。「わかりやすさと情報量を両立できないならば、まずわかりやすさを優先し、後から情報量を補完する」という方針は、曲解すれば「多少不正確でも興味を引ければいい」という主張にもなりかねない。
例えば、多少誇張したり、正確性を欠いた表現をする、このように自分の主張や魅力を売り込む姿勢が過度に進めばコンサルタント的な手法と化す。これでは、最初に抱かせた期待を裏切り、結果的に読者を失望させるだけだ。
そして最後は「わかってもらえる」というエゴだ。これは盲点になりやすい。
「わかってもらえれば受け入れてもらえる、面白いと思ってもらえる」とは限らない、それは「伝える側」のエゴに過ぎない。理想的には、宣伝して興味を持ってくれる人数と興味を持った後に主張やコンテンツを詳しく見てくれる人数は限りなく等しくなければならない。
過度な装飾や持続性のないコスト低減(無料のアプリなど)での客寄せは、デジタルという凶器を使った数打ちゃ当たる戦法で他人の時間を無作為に奪っているだけだ
自己中心的に時間を奪うデジタル通り魔(GAFA等)には俺はなりたくない。
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だから、細かいことを考え抜いた思考の先には満足が待っているだろう、という俺の考えもエゴだ