百合という止まり木(夢の国から目覚めても / first half)

「百合:女の子が好きな女の子の話」は、ヒトはあらゆる文脈や夢や救い、思い思いのモノを乗せて、包容している

そこにある同性愛者はそこがホモフォビアがいない世界であると願ったり、ネトラレ好きはネトラレ趣味万歳と無茶苦茶書いたり…

 

その百合の世界の包容力の話

 

 

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  • やはり、止まり木なんだと思うな百合って

     

    百合について極限に抽象化すれば「公に他言しにくい他人(特定個人でなくても良い)への好意」なんじゃないかと思う。同性愛を想起させるのであれば特にそうだが、友人への思いが重いとかも含む

    言葉は嫌いだがあえて言うが”弱者男性”というラベルに当てはまる(はまりそうな自己認識をしている)男性が誰にたいしても好意を向けられない、向けてはいけないのではないかという悶々さを代弁してもらうのもそう、これは自己紹介ですか?

    そういう寂しさを包括してくれる止まり木なのが百合という概念に思えてくる

     

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    ごめんなさい、百合の語りしといて「負けヒロインが多すぎる!」というヘテロな作品の話していいですか?

     

    この作品は名前の通り、負けヒロインが次々に出てくる

    想い人に既に想い人がいて、私の恋は叶わない

    でも彼女たちは諦められない、というアレ

    この作品は、そうやってフラレて、次に向かわないといけないヒロインたちがどう次に向こうとするか、という話だ

     

    そのヒロイン達が必要とするのは「既に彼氏/彼女がいるヒトへの好意」をどうにかするための時間と、そのための止まり木だ

    それが作品内では文芸部という部活として登場している

     

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    一時的な止まり木という点で、その部活と百合というのは少し似ているのかもしれない

    いつかは現実に飛ばないといけないのだが、それまでの元気だとか前を向くまでの時間を作ってくれる止まり木

     

     

     

    何故止まり木となるはずの百合で争いが起こるのかと問えば、それぞれが百合に対して載せる思いが「女の子が好きな女の子の話」という単純な定義を、それぞれの思いが侵犯するからだ

    これは包容力が広いが故のものなのだろう

    けれど、我々は何かに傷ついてこの木に止まったのだから、そういうのはナシ、なのかもしれない

 

 

 

 

===↓内容寄り↓===

 

 

  • 「女で百合を描く(創作)ならレズビアン(現実)なんでしょって消費されたくない」なら、虚構の好きを現実の恋愛として決定させるのも違うのかもしれない?
  • 極端な話、百合に対して同性愛者が百合をわかった面するのも違うということか?←危ない発言だなぁ...(百合を同性愛者のものと定義することで、逆に同性愛者に鉾を向けている場面など)

 

  • 原初は恋愛でなくても百合なら良いって言ってるな…
  • Q:由香はヘテロなのに、百合に何を願うのか:A:恋愛でない好き

 

まだ半分だから語られるのかもしれないけど、由香が抱かれちゃうの都合が良い気がしちゃった

好きという事実で良いって話なのに、恋愛に足を踏み入れて許容しちゃうのかって

 

ただこの都合の良さこそ、ユキの描く創作だよなとも思う

 

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  • エリが冗談言わないのは性格ではないってことか…(納得)
  • 男性が百合を好きな場合、大抵の「願い」は男女関係から逃げた逃避的反応だと思っているので、それが過去の自分であることを含めて、とことん批判したい気持ちがあるが、一時的に過去の俺を受け止めたということを元に批判すべきではないのかもしれない

 

  • 性欲だけの男の子にはわからないのかもね:これはあくまで一部分の切り取りだし「みんなのもの」という結論ではあるのだが、やっぱりマジでこの世界を扱う権利がどこにもない気がしてならない、百合の定義に性別が含まれているからか?